月明かりとニボシ

にゃんて事ない日々のことだとかねうん

ADHDの辛い日々(2)

前回記事では、特にADHDの症状に悩まされる事もなく、楽しく過ごした幼少期・学生時代を書いていきました。

 

今回の記事では、大学生になり、アルバイトを始めた時の話をしたいと思います。

思い返せば、この頃からADHDの前兆は出ていました。

 

わたしは飲食店で勤務していたのですが、とにかくドジでおっちょこちょいでした。

調理の手順を間違えたり、オーダーの通し漏れがあったりと、致命的なミスこそ無いものの小さなミスはかなり多くありました。

もちろんレジなどは任せられず、時給もなかなか上げて貰えず、、、(当たり前)。

 

これまで、どんなにドジでも周りからは「天然」だと弄られたり愛でられたりしてきたのですが(自負すな)、なるほど、仕事となるとありのままの自分を受け入れてもらうのは難しいことなんだ、と初めて自覚しましたね。

 

結局、雇い主である店長との折り合いが悪く(そりゃそうだ)、一年足らずで辞めてしまいました。

 

次回、社会人編に続きます!!!

 

 

 

 

 

渡部建のいた夏、いない夏

 

(表題は、私の好きな映画の邦題「姉のいた夏、いない夏。」から)

 

王様のブランチを観た。

メインMCの渡部建が不在となり数回目となる今回、私の中のある思いが、確信に変わった。

それは、「渡部、いない方が圧倒的に観やすい説」である。

私は別に、渡部建が嫌いでも無いし、面白くないとも思わない。(もちろん特別ファンであることもない。)

ただただ、私が思い描く「王様のブランチ」のコンセプトと、渡部建が【全くマッチしていない】気がしてならないのだ。

 

※こここらは完全に独断と偏見で書いていきたいので、ご容赦ください。。

 

私が王様のブランチのスタジオに求めているもの、それは【共演者同士の和気あいあいとした掛け合い】、ただそれだけである。

軽快なトーク術?必要ない。

ゴリゴリのお笑いセンスが光る掛け合い?他でやれ。

専門的な知識や情報?この番組ではまず求めていない。

せっかくの土曜、予定もなくのびのびと過ごせる1日の始まりに、何も考えずただぼーっと見つめていられる、情報量のうっすい番組、頭を使わなくていい番組、でも微笑ましく観ていられる番組、それが王様のブランチではないか。

 

私は、渡部建が王様のブランチのMCに起用されたその時から、ある懸念を抱いていた。

遡ること数年前、とある生放送のぶっちゃけ暴露大会みたいな番組に、現在ブランチのレギュラーを務めるオリラジの藤森が出演していた。

そこで出されたお題がこちら。

【ズバリ、苦手な先輩芸人は?】

回答を渋る藤森に対し、ピー音を被せることをMCが約束すると、顔をしかめながら藤森がこう言い放った。

アンジャッシュの渡部さん」

残念ながら、生放送であるためピー音が間に合わず、「さん」くらいのタイミングで虚しくスタジオにピー音が鳴り響いていた。因みに苦手な理由は、モラハラ的なことだったと記憶している。

そんな関係性の二人が同じ番組のレギュラーになるなんて、もうそういう目でしか観てられないのである。

 

しかも、不定期で相方の児嶋がブランチに出演するのだが、児島が登場するVTRに対し特にコメントやツッコミを入れず、スタジオでも特に絡まず、児島の滑り芸を一切回収せず知らぬ顔。とにかく児島への愛情がこれっぽっちも感じられなかった。

 

また、渡部のMC起用後間もなく、当初ブランチリポーター達が番組で愚痴をこぼしていた。

どうやら、渡部主催で番組の打ち上げだか親睦会だかを開催したらしく、それにはレギュラー陣だけが誘われ、リポーター達には一切声が掛からなかった、と。

なんかもう、このエピソードに渡部建の全てが集約されている気がする。

 

別に渡部建を悪く言いたいわけではない。

長々と渡部建について熱く語ってしまったが、私の言いたいことはただ一つ。

 

「今のブランチメンバー、なんかみんな肩の力を抜いて楽しそうにトークをしている」

 

これで私の土曜日にも、無事平穏が戻ってきたのであった。完

 

 

ADHDの辛い日々(1)

突然だが、私はADHD(不注意欠陥型)である。

 

現在二十代後半、今の職場には転職を経て入社し今年で四年目になる。

 

ADHDの診断を受けたのは今年になってからであるが、私はこの診断を受けるまで様々な苦しみを味わってきた。それはそれは、辛かった。仕事(モラハラパワハラ、セクハラetc...)や恋愛(婚約破棄)、家族関係について、いかに地獄の日々を送ってきたのか、備忘録としてここに書き記しておきたい。

 

★幼少時代

子供の時から大学を卒業するまで、生活を送る上で困難を感じた記憶はあまり無い。

しかし幼少時代の自分自身を分析してみた結果、以下のようないくつものラッキー(?)が折り重なった結果、見事に発達障害による困難をうまく潜り抜けてこれた説が浮上した。

・両親が過保護で、身の回りの世話をとにかく全てしてくれていた。

・子供の時からなにかとおっちょこちょいであったが、周りの大人や友人から「まるちゃんみたいで可愛い」と愛でられてきた(ちなみにちびまる子ちゃんのモデルであり、作者のTARAKOさんもADHDの傾向にあったとか、、)

・言語知能が高く、よくひょうきんなことを言って周囲を笑わせていたことからいつも友人が多く、苦手な分野(図工、家庭科の裁縫など)を手伝って貰えた。

・無意識のうちに、自分に対して甘く、とても優しい友人としか絡まなくなった。

 

こうして、非常に楽しい学生生活を過ごしていた私であったが、やがて世にも恐ろしい悪魔の社会人生活に突入してしまうことになろうとは、この時はまだ知る由もなかった、、、(to be continue...)

 

 

 

 

どうも、ミーハーと申します。

何と無くぼんやり憧れていたブログを書くということ、、本日から始めてみました。

 

ワタクシ自身、士気の低い、意識も低い、そして血圧ももちろん低い、どこにでもいるしがないOLです★

 

日々自身の身に降りかかる不甲斐のないこと(⤵︎)や好きなこと(⤴︎)をここにぶちまけていく次第っ!!!!

 

ちなみに文章は雰囲気だよねっ♩精神で四半世紀超過ごしてまいりました。お手柔らかに。。

そして当方かなりのミーハーちゃん。

 

おしまい。